Monday, February 27, 2006

ジャッカルの目 -The Eye of the JACKAL-

プロローグ (だけの小説)
      -・-
 スイス・モントルー地方の一角,この辺りでは普通の別荘風建物の一室で,3人の男と1頭の犬がデスクを挟んで向かい合っていた.
その瀟洒な外観とは裏腹に,打ちっぱなしのコンクリートが剥き出しの殺風景な部屋には,大きなデスクと椅子の他には何も無かった.
照明を落としているため,窓を背にした男たちはシルエットにしか見えなかったが,犬はそんな場面に慣れているのか,椅子に深く腰掛けたまま,気にする風でもなかった.  

 犬は,一見したところありふれた黒がちのボーダーコリーであった.ウェイブがかった柔らかなセミ・ラフのコートには,かすかにタンが混じっていた.
あばらの浮き出た痩せぎすの身体と,肩骨を突き出したけだるそうな様子から,栄養不良のようにも見えた.そして,しなやかだがどことなく野卑なところのある身のこなしは,暗く凄惨な過去を物語っているようでもあった.

 「依頼の内容は以上の通りだ.引き受けてもらえるだろうか?」 
 男の一人が尋ねた.
 「承知した.難しい仕事だが準備時間さえかければ可能だろう」 犬が応えた.
 「ありがたい.これで猛羊どごおるとの死闘にも終止符が打てそうだ」
 「ところで一つ確認したいのだが,君が "ジャッカル" 本人だという保証はあるのかね?」

 部屋の中に緊張が走り,タバコから上る紫煙がかすかに揺らいだかのように見えた.
 犬はただ息をするついでに唸ったといった調子で,素っ気なく応えた.
 「よくある質問だ」
 「どうか気を悪くしないでもらいたい.君の言葉を疑うわけではないが,我々も組織の全権を受けて交渉に当たっている.つまりフランス牧羊協会の面子がかかっているわけだ.万が一にも間違いは許されないのだ」
 「よくある言い訳だ」
 犬は,ストップの際立ったマズルにシワをよせ,かすかに微笑んだかのように見えた.
 一瞬,見る者の心胆を凍らせる,シニカルで酷薄な表情だった.
 「そちらの立場は理解している.ただ知ってのとおり, "ジャッカル" は単なるビジネス上のコードネームでしかない.KC や ISDS やトライアルに無縁の俺には,証明書の類は一切無いのでね.俺にできるのは事実を見せることだけだ」 
 そう言うと犬は,物音一つ立てずに冷たいリノリュームの床に降り立った.

 その直後,部屋の中では奇妙な光景が繰り広げられていた.
 3人の男が,さほど広くも無い部屋の中を意味ありげに歩き回っていた.
 部屋の隅で固まったかと思うと,そこから一列になって椅子とデスクの間を通りぬけたり,窓の下に整列したりした.窮屈そうに身を寄せ合って移動する様は,電車ごっこで遊んでいるようにも見えたが,どの顔もいたって真面目であり,苦痛の色さえ浮かんでいた.

 男たちの足元では,痩せぎすの犬が音も立てずに走り回っていた.その動きは,先ほどまでの様子からは信じられないほど俊敏であり,あたかも数頭の狼が獲物を囲んでいるかのように見えた.
 1頭の犬が3人もの大人を自由自在にドライブしていたのだ.
 「わかった!」
 男たちの一人がたまりかねて叫んだ.
 「君の力はよくわかった.それに君が正真正銘,プロの牧羊犬 "ジャッカル" だということもね.頼むからその動きを止めてくれないか!」
 犬は立ち止まり,何事もなかったかのように耳の後ろを掻いた.
 男たちは肩で息をしていたが,しばらく経ってようやく安堵の表情を見せた.
 「何とも不思議な力だ.意識では抗っていても,身体が勝手に反応してしまう.まるで催眠術にかけられたようだ」
 「私は羊に生まれてこなかったことを神に感謝するよ」
 「君さえよければ,非礼をわびて契約の条件に移りたいのだが...」
 「結構」
 3人の男と犬は,またそれぞれテーブルについた.

 結局,昼に始まった交渉は3時過ぎまで続いた.
 その後男たちと犬は,柔らかな午後の日差しの中,それぞれ別の方角に散歩に出かけた.
 そして,そのまま2度と戻らなかった.
       -・-
 会合の間中,細心の注意でジャッカルを観察していた男たちであったが,実は重大な点を一つだけ見落としていた. 3人をドライブしている間中,彼の両目の薄まぶたが軽く閉じられていたのだ.
 最大の武器であるはずの "eye" を,自ら封印するために...

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